霊岸島梅花亭「どら焼き」【第2回中央区推奨土産品】
「どら焼き」は梅花亭で生まれました

皆さんきっと「どら焼き」が大好きで、お茶の友にされていることと思います。和菓子の銘店が多い中央区の中でも梅花亭はどら焼き発祥の店、特別などら焼きです。2枚のふっくらした皮で挟んだどら焼きではなく、1枚皮のどら焼きなのです。中央区推奨土産品にも選ばれました。「どうやって作るの?」霊岸島の梅花亭さんをお訪ねしました。
どら焼きの「どら」とは?

江戸時代、徳川将軍を乗せた幕府の御座船が隅田川を行き来したことがありました。その際に周りをたくさんの船が囲んで、列が乱れないよう合図に銅鑼を鳴らしながら進みました。その楽器の銅鑼の形から梅花亭のどら焼きが生まれました。明治の初期に3代目が考案しました。
お話を伺ったのは8代目の望月実千さんです。作り方を教えてくださいました。生地(てんぷらのタネのような物)の中に餡玉を落とし入れ、生地をまとわせ箸ですくい上げそのまま銅板に乗せて焼きます。へらで上下を返し上から押さえて焼き上げます。餡も自家製で生地に包まれている状態、一回に9枚しか焼けないそうです。
ぎっしりの餡は小豆の味を存分に薄い皮とともに食感も楽しめます。
亜墨利加饅頭・佛蘭西饅頭

梅花亭は嘉永3年(1850)に創業しました。写真左は初代が創作した「亜墨利加饅頭(あめりかまんじゅう)」で当時としては珍しいパン窯のような窯で焼き上げた饅頭で、栗万頭の祖と称されました。ちょうどペリーの黒船が日本に来た頃に売り出された梅花亭の歴史的銘菓です。皮の薄さと少しいびつな形は職人の手作りならでは。白餡の甘さは江戸時代から続く美味しさです。
時代は下り昭和26年、6代目が生み出したのが右側の「仏蘭西饅頭」です。大正時代に習得した洋菓子製作の技術を生かし、黑餡を皮で包みメレンゲをかけて焼き上げています。表面はオレンジピールとドライチェリーが置かれて、それぞれの味が調和しながら生きています。戦後の復興期におしゃれなお菓子は人々を元気づけたことでしょう。
三笠山・桃山

「三笠山」は時の外務大臣大隈重信公が、菓子の欧風化に抗して和菓子も進歩せよ、と命じたことで創作されました。奈良の若草山に想いを馳せた青えんどう豆の餡が美しいお菓子で、真ん中の六に見える焼き印は笠を表しています。
桃山城の瓦を型どった「桃山」は明治期のお菓子で黄身餡が上品です。
梅もなか・うぐいす餅

江戸時代、中秋の名月を「もなかの月」と称して円形薄型でした。昭和9年、店主が原型を考案し梅の形の最中が生まれました。ふくっらした梅にそれぞれ違う餡が入っています。たくさん餡が詰まっているのに、飽きずに食べられて、いくつでも食べられそうです。
梅にうぐいすのうぐいす餅は春が近くなる頃お店に出ます。形を保っているのに、こんなに柔らかいお菓子は初めていただきました。
今までもこれからも

梅花亭のお菓子はすべて「昔ながらの手法」・「丁寧な職人の手造り」を守っています。上品でやさしい甘さは、口に入れると日常にささやかな幸せをもたらしてくれます。江戸時代から変わらず大切にされて来た味です。どのお菓子にも歴史や物語があり、時が流れても私たちに美味しいお菓子を伝え続けてくれることでしょう。
望月実千さま、貴重なお話を本当にありがとうございました。
インフォメーション
| 社名 | 霊岸島梅花亭 |
|---|---|
| 住所 | 東京都中央区新川2-1-4 |
| 電話番号 | |
| 営業時間 | 9:00-17:00 |
| 休業日 | 土・日曜日、祝日 |
| サイトURL | |
| ブログ執筆者(中央区観光協会特派員) | 小猿 |