築地外国人居留地跡
西洋文化の窓口として発展した外国人居留地
明治政府は、神奈川条約(1854年)により、明治元年、築地明石町地区を外国人居留地とし、交易を自由にしました。以来、この付近は西洋文化輸入の拠点となり、西洋建築による学校や病院などが建てられ、いたるところに文明開化の史跡があります。居留地内は一種の治外法権で、外人による不法行為も相次ぎ、不平等条約改正は国民の悲願でした。居留地は明治32年になってようやく廃止されました。当時の様子は、鏑木清方の名画「築地明石町」に偲ぶことができます。明石小学校に保存されているレンガ塀の一部は、当時の貴重な遺構。
企業情報 Company Information
住所 | 明石町1-15 明石小学校 居留地通り沿い |
---|---|
交通アクセス | 東京メトロ日比谷線「築地駅」 |