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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座6丁目のパティスリー風と土

[まぴ★] 2012年1月21日 08:30

銀座6丁目にある、パティスリー・風と土。
去年のことですが西銀座通りを歩いていると、道路の向かい側に新しいお店発見!

上村卓也シェフ・パティシエのお店で、1年半くらい前にオープンしたそうです。
そーいえば、西銀座通りはあまり通っていなかったかも。


 


銀座が1号店で、このときはここにしかお店がなかったみたいですが、
東京駅の改札内や品川駅にもあるようです。


日本の素材にこだわって作られているそうで、
小麦粉に岩手産の「ネバリゴシ」を使ったお菓子が色々あります。


一番のおすすめはタルト・フロマージュ(チーズケーキ)
そして、最近はロールケーキも人気があり、
全粒粉の小麦粉や米粉を使った「銀六ロール」も。


私の場合、初めての洋菓子やさんで買うのは、まずダックワーズ。
2種類あったので買ってみました。
小麦粉を使ってないそうで、しっとりしてるのに
アーモンドでザクザクした歯ごたえでした!

そして、銀座マロニエ通りというパイ菓子。
名前と栗の形が気に入って買ってみました。
パイ生地ですがしっとりしてて、栗がゴロっと入ってて美味しい!



パティスリー・風と土のホームページ



 

 

築地市場の歴史的変遷 1の1(河岸の資産価値は、過去に2億円)

[kimitaku] 2012年1月21日 08:30

築地市場には、多くの魚介類を扱う魚類部と、青果類を扱う青果部とがあります。
どちらも早朝から営業し、多くの客で賑わっています。

  sakanabu.jpg seikabu.jpg青果部は市場内の新大橋通り沿いに、魚類部は隅田川沿いにそれぞれ位置しています。

魚類部に比べれば、青果部は大声の飛び交うことなく、静かに営業されています。
魚類部は、世界最大の取り扱い規模を誇っています。

 

 いま 築地市場は移転問題で、いろいろと話題にあがっています。昨年末からは、本格的に移転交渉も始まったようです。11月には都側の桟橋調査でも、いろいろあったとのこと。まだ、先は大変かも知れません。

TUKIJISANNBASI.png ところで、市場では、魚介類を扱う場所を河岸と言います。河岸の権利はバブル期には2億円と評価されていました。
これは金融機関が、この権利を抵当して2億円を融資する価値があると査定した額なのです。いまはそれほどの価値は無く、数百万円が相場ではないか(関係者の話)と言われています。

 

 ここで、市場の歴史を、江戸時代からひも解いてみたいと思います。

 江戸城は中世、江戸氏の館跡に長禄元年(1457年)太田道灌が築城しました。

当時は、人口も3000人に満たぬようで、天正18年(1590年)徳川家康移封までは、市場は、芝浜:今の港区芝神明(立川談志の落語:芝浜で有名)、それに、皇居平川門の前(いまの毎日新聞社前)に四の日に市の立つ四日市場(主に干物類)がありました。

  HIRAKAWAMON.jpg 家康は、入城後、江戸振興策の一貫として、神田山を崩し、その土砂で日比谷入江を埋め立て、日本橋一帯を造成しました。 その際に北から南に流れる平川の流れを東に変え、それが日本橋川となりました。
日本橋が架けられてのち、日本橋川の両岸に市が立ち、各方面から、魚介類、青果、またあらゆる物資がもたらされ、江戸の町を潤しました。
また、青果類は、関東一円、特に川越方面から、荒川を下り、魚介類は、江戸湾、佃島、芝や、遠く行徳方面から船で運ばれ、隅田川を上り、日本橋川に入り、河岸に並びました。


次回に続きます。

 

 

 

日本橋かるた まちめぐり (架橋100周年記念) 1月17日~29日

[ゆりかもめ] 2012年1月20日 08:30

「日本橋かるた」は日本橋から生まれた「郷土かるた」です。

日本橋の文化や歴史をより多くの方々に知って頂く為に2009年に日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会が設立10周年を記念して製作しました。

「歴史」「名所・旧跡」「文化・文化人」等をテーマにした読み句は一般公募により全国から集められました。

総数4114句の中で47句を選定委員会が選出し、「日本橋かるた」に採用しています。

2012_0119   日本橋かるた 写真0012.JPG 絵札の美しい図案は新進気鋭の浮世絵師・六代目、歌川国政氏による書き下ろしです。

製作監修は1921年創業の老舗「奥野かるた店」です。 ¥3150.-(税込)   

日本橋界隈を散策しながら江戸情緒漂う「めぐり札」を5枚集めてコレド室町インフォメーション「日本橋案内所」に持って行くと1回抽選が出来て楽しいプレゼントがあります。  

2012_0119  日本かるたで町あるき 写真0006.JPG「日本橋かるた」は日本橋から生まれた「郷土かるた」です。

マップを辿って「めぐり札」を集めましょう。

「めぐり札」は上記の「日本橋かるた」です。

例えば・・・・・そ  祖母と来て 今は孫連れ 三越に

        を  近江江戸 天びんかけて 高島屋

        こ  石町の 鐘でお江戸の 夜があける 

        め  明治座へ 甘酒横丁 恋の道

        す  双六は 日本橋から 京あがり      等です。

 

私は抽選で下記の写真 名橋「日本橋」架橋100周年 の日本手ぬぐい を頂きました。

                                      (空くじありかも?)

5枚目のカードはホテルかずさやで頂いたのですが、ホテルかずさやさんの通りが昔「釣鐘通りと言った事をはじめて知りました

(中央区日本橋本町4-7-15) 03-3241-1045

以前にブログ掲載の為にホテルかずさやさんのシャッターの浮世絵を探して歩いていた時に一度上げたシャッターを私が写真を撮る為に下ろして下さった事を思い出しました。

有難うございました。

 

抽選会場 : コレド室町 地下1階 「日本橋案内書」

期間    :1月17日(火)~19日(日)

問合せ  : 03-6225-2690

めぐり札の為の地図はコレド室町 日本橋高島屋 三越本店 ホテルかずさや等に置いています。

   2012_0119  祝名橋 日本橋 写真0009.JPG

 

 

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者」

[柳 さつき] 2012年1月20日 08:30

昨年、2011年に架橋100周年(石橋になってから)を迎えた「日本橋」。

2012年も話題のスポットになりますね!

P1070196.jpg

「日本橋 」には東京都のマークをしっかりとつかむ、守護の「獅子像」と、背中に翼をもつ、繁栄の「麒麟像」があります。

ともに狛犬同様、「あ像」「うん像」の対です。



P1070195.jpg この日本橋が舞台になった映画が『麒麟の翼』です。
人気のテレビドラマ「新参者」の劇場版で、いよいよ1月28日に全国の東宝系でロードショーです。

作者の東野圭吾さん×主演の阿部 寛さんのコンビシリーズ 最高傑作といわれています。


日本橋南詰めの「日本橋西川」さんショーウインドウより・・・

P1070234.jpg

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「七つの謎」・・・?

「父の秘密」・・・?

うーん、ワクワクしてしまいますね!

『麒麟の翼』公式HP:http://www.shinzanmono-movie.jp/index.html

 

ちなみに

「コレド日本橋」B1 アトリウムでは、現在『麒麟の翼』パネル展が開催中です。

1/29までです。

コレド日本橋HPより:http://mi-mo.jp/pc/institution_whatsnew.php?iid=0009


 

 

 

平家物語と水天宮

[北遊人] 2012年1月19日 08:30

NHK大河ドラマ "平清盛" がスタートしました。


日本橋七福神で、また安産・子育ての御宮として信仰を集めている"水天宮"は日本橋蛎殻町2丁目にあります。

 先ず東京水天宮の本殿です。

newyear 020.JPG

 参道階段下に"御由緒"を書いた説明板があります。

newyear 016.JPG

紹介します、

 

 <御 由 緒>

御 祭 神  天御中主大神 (あめのみなかぬしのおおかみ)

        安徳天皇   第八十一代

        建礼門院   高倉天皇の中宮、安徳天皇の母君 御名 徳子

        二位ノ尼   平清盛の妻 御名 時子 安徳天皇の祖母 建礼門院の母


 当社は文政元年(一八一八)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の御分霊を神主に命じて藩邸内に御分社を祀らせたのが創めです。

久留米の水天宮は今からおよそ七百年程前に創建されたと伝えられております。 彼の壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたてて御祀りしたのが創めです。


江戸時代の水天宮は藩邸内に在った為、庶民は普段参拝できず門外より賽銭を投げ参拝したと言います。 ただし毎月五日の縁日に限り殿様の特別の計らいにより藩邸が開放され参拝を許されました。その当時ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人伝てにこの御利益が広まりました。 その当時の水天宮の賑いを表す流行り言葉に "なさけありまの水天宮" という洒落言葉があった程です。


明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年十一月一日現在の蛎殻町に御鎮座致しました。


関東大震災では神社も被災しましたが、御神体は隅田川に架かる「新大橋」に避難し難を逃れました。その後御復興も相成り、昭和五年流れ造りの社殿が完成、時移り昭和四十二年現在の権現造りの社殿となりました。



 それでは本宮の方をネットで覗いてみましょう。

 福岡県久留米市瀬下町に在る" 全国総本宮 水天宮 "の画像です。

newyear 014.JPG

 祭神・由緒の説明文を紹介します、

  御 祭 神

    天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)

    安徳天皇 (あんとくてんのう)

    高倉平中宮 (たかくらたいらのちゅうぐう)

    二位の尼 (にいのあま)

 

  由 来

寿永四年(西暦1185年)三月二十四日 壇ノ浦の戦の後、高倉平中宮に仕えていた官女 按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れ来て初めて水天宮を祀った。この頃は未だ筑肥の界も明らかでなくただ荒漠たる原野であったという。今日、川を隔てて下野村があるが、近くの鷺ヶ鼻と言う地名は当時の古名が残ったものであると言われる。


伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていたが、御霊験のあらたかにして、尊崇するもの日増しに多くなり尼御前と称え慕い社名を尼御前神社と呼ばれるに至った。


その頃中納言 平知盛 卿の孫(従四位少将 平知時の四男 右忠すけただ)肥後より千代女を訪ね来てこれを養いその後嗣とした。 千代女逝去の後、里人その墓を営み松を植えて千代松明神とあがめ奉った。 同女は大和国石上布留神社(現石上神宮)の神官の娘にして、墳墓は久留米市内株式会社アサヒコーポレーションの正門前に在り、奥津城祭(墓前祭)は毎年春に奉仕されている。

当社は古来農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として或いは病難、火災などの除災招福の御霊験高きを以て聞こえ、畏くも明治天皇御降誕の砌、孝明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされた。

かくの如く御霊験あらたかなるを以て明治元年十月三日、禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。


 鎮 座

筑後川のほとり鷺野ヶ原に建久初年(西暦1190年)創建せられ、その後兵禍を避けて諸所に移し、還御の遺跡と伝えられる所は幾多あり。 慶長年間に至り久留米市新町一丁目に遷り、更に慶安三年(西暦1650年)9月 久留米藩第2代藩主 有馬忠頼公は社地と社殿を寄進し現在のところに遷し奉った。

爾来御神威弥増に輝かせ給い、第9代藩主 有馬頼徳公殊に尊崇せられ、文政元年11月1日江戸三田の藩邸に御分霊を勧請された。その後明治4年現在の中央区日本橋に御遷座されこれが現在の東京水天宮である。

このほか、国内・ハワイ等各地に鎮座する水天宮はすべて当社を本宮とする御分霊社である。因に当宮境内には幕末の激しい動乱期に勤皇派の旗頭として、王政復古に一生を捧げた明治維新の先覚者 真木和泉守保臣先生(第22代の水天宮宮司)を祀る真木神社がある。

 

 以上のとおり、平清盛 の二番目の妻 時子(二位の尼)との間に生まれた 徳子が 高倉天皇に入内し生まれたのが安徳天皇である。つまり水天宮には、安徳天皇、その母徳子(建礼門院),祖母に当たる時子(二位の尼)が祀られているのです。

平清盛は最初の妻(明子)との間に平重盛、時子(二位の尼)との間に平宗盛、平知盛、盛子、徳子をもうけています。


「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、、、、」で始まる"平家物語"はどなたも御存じと思います。


建礼門院は壇ノ浦の戦で平家が敗れた時一門の者と一緒に入水したが助けられ、京都大原の寂光院で一生を送ります。 平家物語では、後白河法皇が建礼門院を訪ねる"大原御幸"は有名なくだりです。


歌舞伎でお馴染の"鬼界ヶ島"は、鹿ケ谷事件により俊寛たちが流刑になる話ですが、御赦免船が参ります、、、。この恩赦は、安徳天皇を妊った建礼門院の安産祈願によるものとのことだった、、。

水天宮に祀られている御三人に想いを馳せながらテレビドラマを楽しみたいと思います。

 

 

 

 

中央区にそびえる「富士の山」

[小江戸板橋] 2012年1月19日 08:30

新春を迎えると、すがすがしい気分の中で、必ず見たくなるものがあります。

雪をいただく、神々しい富士の姿です。

「一富士、二鷹、三なすび」は、めでたい初夢のベストスリー。

 

関東地方の冬は晴天が続き、高層ビルの窓越しに、引き締まった空気の中に立つ「富士山」を見ることができる日が多くあります。

 

絵のような姿に見とれてしまいますが、見れば登ってみたくなるもの。

とはいえ、日本一の高さを誇る富士の山。

おいそれと近づけるものではありません。

 

さあ、ここに登場するのが、中央区湊1丁目に鎮座する、鐵砲洲稲荷神社。

この神社の右奥、北西方向に進むと現れるのが、富士の溶岩を積み上げてできたミニチュア版の富士山。

富士塚です。

 

急な岩場を登ると、頂上に浅間神社を祀っていました。

登り口には、ご胎内(ぽっかりと開いた穴)も造られています。

現在は6メートルほどの高さで、裏手はマンションに囲まれています。

江戸時代の書物、「江戸名所図会」にも描かれたというのですから、山開きの旧暦6月1日には、なかなかの人出だったのでしょう。

 

富士塚と呼ばれる人工の山は、江戸時代から、富士信仰、富士講によって造られました。

関東地方を中心に広く分布しています。

街歩きの途中、品川区北品川の品川神社や、渋谷区千駄ヶ谷の鳩森神社、文京区本駒込の富士神社境内に、登りがいのある富士塚も見つけました。

 

遥かに仰ぐ富士山に、一度は登ってみたい。

でも、簡単には登れない。

ならば、せめて名残をうつす富士塚の頂上に立ちたい。

切ない夢を叶えてくれる、祈りの姿がうかがえます。

 

 

 
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