[銀造]
2011年12月21日 08:30
東京駅八重洲口から至近の割烹嶋村。 創業は江戸時代の、嘉永3年(1850年)。
お店に入ると、江戸料理店番付に、その名が大きく紹介されています。
今日は、このお店の名物、「幕末会席」を目当てにやってきましたが、要予約とのことで、天麩羅定食を注文しました。 海老3、キス1、さつまいも1、しし唐1、これに野菜の炊き合わせ、ひじきの煮物、漬物、味噌汁、ご飯はお代わりが出来て、¥1,600です。ハッピー食事券
が使えるので、大変お得に美味しく頂きました。
次は、、是非ご予約をされて、お友達とご一緒にと、お見送りを頂いて、再来を期しました。 金ぷら丼も名物だそうです。 お店の詳細は、
割烹嶋村→http://www.chuo-kanko.or.jp/search/index.php/show/shop/1-33?t=1324198860
http://r.gnavi.co.jp/g202500/
[織衣舞]
2011年12月21日 08:30
12月16日13:30~15:30 ほっとプラザはるみにて中央区環境土木部 水とみどりの課主催で、クリスマスリースづくり教室が開かれました。
材料はローズマリー、リース台、マツカサ、ホーリー、ヒバ、オリーブ、サンキライの実などです。
材料の一部は屋上から採取しました。
指導員3名の方にお世話いただき みごとなリースが出来上がりました。参加者はハーブティーなどいただき自分の手つくりのリースにニンマリ、同テーブルの方々と品評会をするなど盛り上がりました。
これは人気の講座だそうです。
[サム]
2011年12月20日 08:30

第九のない年末なんて・・・。師走恒例の「ベートーベン第九コンサート」。
12月17日(土)12:00~14:00、晴海トリトンスクエア2F グランドロビー特設会場にて、田中祐子氏指揮「中央区第九の会 晴海トリトンスクエア(本)公演」が開催された。
毎年12月に「晴海トリトンで第九演奏を!」を合言葉に、今年で第5回目を数える演奏会。
今年は、第1部は中央区立佃中学校合唱部「くま」による合唱・中央区第九の会版「お江戸日本橋」が、第2部は東日本大震災で亡くなられた方々に捧げるフォーレ作曲「レクイエム」が、第3部はベートーベン作曲交響曲第9番<合唱付き>より第4楽章が演奏された。
「中央区第九の会」は中央区第九の会合唱団(中央区在住・在勤者により2007年7月結成された特別編成合唱団。高校生からシニアまで180人余が在籍。)と中央区交響楽団(団員約80人)とで構成。
[ムーミン]
2011年12月20日 08:30
歌舞伎の『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』 お富、与三郎の舞台となりました玄冶店(げんやだな)跡地の一角に 、大正元年創業で 数寄屋造り、ミシュランガイドでも有名な 老舗料亭「濱田家」のランチにいってきました。
玄冶店とは 御典医 岡本玄冶(1587~1645)が 将軍家光の病気を快癒させた褒美に拝領した土地に借家を建てて 庶民に貸したことにその名が由来しました。
この料亭に 足を一歩踏み入れると 人形町の喧騒とは 別世界の静寂な世界に浸る事ができました。



一階の待合室には お茶室も整い 手入れの行き届いた お庭も観賞できます。今年の大震災では 庭の石灯篭だけが 横倒しになったそうです。
私達は 二階の二十畳もあるお座敷に案内されました。ちょつとしたお庭もあり 床の間には 花が活けられ 日本画の後藤純男の雪の風景の作品が飾られていました。
座敷の四畳~六畳程の場所は 芸者さんが日本舞踊を舞うことができるようになっています。
人形町界隈の芸者さんは 芳町芸者と呼ばれ 日本の女優一号のマダム貞奴も ここからでています。現在登録されている芸者さんは15人位で 実際活動されている人は 10人位だそうです。
そのうちに お料理が運ばれてきました。献立は 前菜、椀盛、造り、箸休め、焼物、蒸し物、食事、水菓子、甘味 どのお料理も 見た目も艶やかで 味もさすがの美味しさ。 器も素敵で お腹も満腹。 優雅で気持ちの良いひと時を過ごすことができました。



はじめは 高級老舗料亭の敷居が高くて 躊躇していましたが 中央区のハッピー食事券を入手してその食事券が濱田家さんにも使用できるので 思い切って出かけました。
仲居さんは とても親切で 気さくに接待してくれました。女将さんもご挨拶にこられ嬉しいやらの驚きです。
一度は いかれたら良い おすすめの料亭です。 私も何かの機会がありましたら 又 いきたいと思っています。
[illy-ship燦壱朗]
2011年12月20日 08:30
10月、八重洲二丁目の八重洲ダイビル前に尾台榕堂のモニュメントができました。患者の子供がかわいらしく、口を開けています。
越後出身の幕末の漢方医尾台榕堂。このあたりに居を構えていたそうです。
来年の中央区観光ガイドに掲載され、検定試験に登場しますでしょうか?!
[巻渕彰/写楽さい]
2011年12月17日 18:41
武者絵や美人画、風景画、妖怪画、戯画、動物画など幅広いジャンルにわたり、その画風に異彩を放った浮世絵師・歌川国芳〔うたがわ・くによし=寛政9年(1797)-文久元年(1861)〕。本銀町(ほんしろがねちょう)に生まれ、晩年は玄冶店(げんやだな)に住み、終焉の地となった。現在、「没後150年 歌川国芳展」(2月12日まで、六本木・森アーツセンターギャラリー)が開かれている(写真上左)。日本橋で傑作を生み出した江戸っ子・歌川国芳がいま甦ってくる。
国芳は寛政9年(1797)、本銀町一丁目で生まれる。現在の日本橋室町四丁目で神田に近いところである。本名井草孫三郎。文化5年(1806)、12歳のとき歌川豊国に認められて弟子入りしたという。初代歌川広重は同い年で、やはり、当時隆盛の歌川派豊広門人。文政10年(1827)31歳のとき「通俗水滸伝豪傑八百人之一個」シリーズが大当たりして、武者絵で地盤を固める。画面いっぱいに登場人物を描いたダイナミックな構図が人々を魅了したようだ。天保13年(1842)には天保の改革で風俗取締りから役者絵・遊女・芸者などを描けなくなり、そこから戯画や風刺画などに奇才を発揮していったといわれる。
一見、落書き風に見える絵も、実は役者衆を描いたことを見る人は分かってしまう、という滑稽な反骨魂を表している。人の姿を寄せ集めて人物画を作り出すなど、奇想天外な画風で、笑いと遊び心の世界を天真爛漫に描き込んでいった。猫を題材にした作品も多い。国芳の絵は、タウン誌月刊『日本橋』の表紙になっているのでお馴染みかもしれない。近ごろ話題なのが「東都三ツ股の図」(国芳展では後期展示)で、中洲から深川方面を望み、高くそびえ立っている櫓が江戸のスカイツリーか、と思わせる情景だ。
女流劇作家の長谷川時雨は著書『旧聞日本橋』で、国芳について、父(深造)の昔語りとして書いている。
「玄冶店にいた国芳が、豊国との合作で大黒と恵比須が角力(すもう)をとっているところを書いてくれたが、(父は)6歳か7歳だったので、何時の間にかなくなってしまった」「国芳の家は、間口が二間、奥行五間ぐらいのせまい家で、五間のうち、前の方がすこしばかり庭になっていた。外から見えるところへ、弟子が机にむかっていて、国芳は表面に坐っているのが癖だった。豊国の次ぐらいな人だったけれど、そんな暮らしかただった。(以下略)」(岩波文庫版から)。父深造の挿絵「浮世絵師国芳の住居」(部分=写真上右)も載っている。
嘉永6年(1853)、57歳のときに新和泉町玄冶店(現・日本橋人形町三丁目)に居住し、文久元年(1861)この地で65歳の生涯を閉じた。現在、玄冶店跡には中央区教育委員会説明板が立っているが、国芳の記述はない(写真下左)。墓は小平市上水南町の日蓮宗中将山大仙寺にあり、一勇斎国芳の名が刻まれている(写真下右)。同寺は文禄4年(1595)八丁堀で創建され、正保元年(1644)浅草に移転し、のち戦災に遭い、昭和23年(1948)現在地に再建されたという。●巻渕彰