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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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芸術は爆発だ!

[酔生(すいしょう)] 2011年6月 2日 08:30

今年は岡本太郎生誕100年。


東京の街角で見られる岡本太郎の作品としては、渋谷駅の「明日の神話」や青山のこどもの城にある「こどもの樹」が有名だが、どっこい我らが中央区にも岡本太郎の立体作品がある。


数寄屋橋の交差点近く、泰明小学校裏の数寄屋橋公園にある時計台だ。


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旧東芝ビルと首都高の間に挟まれた、存在にさえ気づかずに通り過ぎてしまうくらい地味で小さな公園の空気に溶け込もうと努めるも、周囲に放たれるオーラを抑え切れない。

岡本太郎の時計台はそんな様子で佇んでいる。


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それにしても、仮に文字盤に「TARO」の署名が入っていなくたって、誰もがひと目で岡本太郎の作品だとわかる強烈な個性はすごい。


今の日本の、国家にとって都合のいい人間を量産するような教育システムからは、岡本太郎のような個性はけっして育たないだろう。

 

 

旧采女町を訪ねて

[酔生(すいしょう)] 2011年5月 1日 22:38

晴海通りを挟んだ歌舞伎座の向かい、住居表示による銀座五丁目13番から15番と、その西隣りの昭和通りの道路用地となっている辺り。ここに明治から昭和初期の間、采女町(うねめちょう)という町名が存在した。

 

その名は享保年間(1700年代初めごろ)まで、松平采女正(うねめのかみ)の屋敷があったことに由来する。江戸時代には采女ヶ原と呼ばれ、娯楽施設が立ち並ぶたいそう賑やかな一角であり、また明治時代には、今の時事通信社ビルの場所に洋食レストランの草分けである精養軒の本店があった。

 

そんなこの地の旧姓を我々にそっと教えてくれるのが、旧築地川に架かり、現在は首都高速を跨ぐ「采女橋」である(昭和5年竣工)。

unemebashi1.JPG橋の西詰には采女橋公園があり、今の時期は新緑の緑が眩しい都会のオアシスだ。この采女橋の名は、周辺いくつかの交差点の名称としても使われている。

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そして街の歴史の記憶を留めるものがもうひとつ。昭和通りを渡ったみゆき通りとの角に「采女町長寿庵」というお蕎麦屋さんがある。 

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インターネットで調べた限りでは、かつて長寿庵の元祖が現在の銀座七丁目にあり、そこからいくつもの店が暖簾を分けたという。その中の采女町に店を出した長寿庵から、さらに暖簾分けした一派が今も「采女会」を名乗り、この店もそこに属するらしい。これら「采女町長寿庵」や「采女会」は、采女橋以外に現存する貴重な旧采女町遺跡である。

 

もっとも明治時代の地図と見比べると、現在の采女町長寿庵の場所は厳密には采女町ではない。元々は本来の采女町にあった店が、関東大震災後の昭和通りの新設計画にかかるため、現在地に移転させられたのかもしれない。

しかしこれはあくまで私の想像。古地図で下調べしてから現地を歩き、また古地図に戻るを繰り返しながら、あれこれ想像を巡らす。たとえ頭の中だけであっても、過去と現在を自由に行き来するのは本当に楽しいひと時だ。

 

ところで旧采女町の一部も削られて出来た昭和通り。ご存知のようにこの通りは、関東大震災からの復興予算が削りに削られた中で、帝都復興院を率いる後藤新平の構想が形になって今日まで残った数少ないものである。

それからおよそ80年余り。今般の東日本大震災復興構想会議は、後世に何か一つでも形に残すことは出来るのだろうか。

 

 
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