[銀造]
2012年5月17日 08:30
以前、「東日本復興応援プラザin銀座」で、ボランテイアの方々が毎週土日に東北支援の活動をなさっている事を報告しました。 先日も、お会いしたボランテイアの小父さんに、素敵な活動家の事を紹介されました。 ご本人は、フラワーデザイナーの吉田教子さんです。 今回も写真を固辞されていましたが、小父さんに立派な活動を紹介され、写真に納まっていただきました。
東日本復興応援のため、皆さんのご寄付を通じて、「まんまるさん」の人形を普及させたいと活動されています。 その他に、フラワーデザインの仕事だけでなく、更正施設を慰問されていると小父さんからお聞きしました。 詳細は、雑誌「フローリスト5月特大号」で。 土日は、お立ち寄り下さい。
http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2012/04/post-1201.html
雑誌フローリストの記事の一部が、紹介されていますので、ご覧下さい。
http://gekkanflorist.blogspot.jp/search/label/%E8%8A%B1%E3%81%A8%E4%BA%BA
[kimitaku]
2012年5月16日 08:30

「有りがたや いただいて踏む 橋の霜」
「初雪や かけかかりたる 橋の上」
この二句は、俳人 松尾芭蕉が
詠んだ句です。
新大橋ができた嬉しさを、句にしたためたものです。
新大橋は 元禄6(1692)年架橋後、何度も架けかえられ、明治45(1912)年に鉄橋として架
けかえられました。
両国橋のまたの名前「大橋」に続く橋として「新大橋」の名前がつきました。
中央区の浜町と 江東区の森下方面を結び、全長 170M 幅 24Mです。
橋を渡る途中には、
由来、元の橋、歌川広重の錦絵が レリーフとなっていますが、
ゆったり流れる隅田川に、橋の色とマッチして美しく、
足を止めて碑文を詠む人も多くいらっしゃいます。
この橋のまたの名は「人助け(お助け)橋」 由来を説明しましょう。
(これからの話は多く「区内散歩6巻 川端茅舎 の項」に寄ります)

大正12(1923)年9月1日昼間際
東京は未曾有の揺れに襲われました。
>>>「土蔵の多くはまたたくまに崩れ、砂煙が巻き、目も開けられない状態でした。直後は物音もせず静寂の状態が続いたそうです。人々は不安にかられました。
近くの倉庫からの火はたちまち広がり火の粉の雨を降らせました。すぐ鎮火したものの、神田方面からの火勢は、人形町を焼き尽くしていきました。
川では津波ように真っ黒な水が押し寄せて来たそうです。
火勢が迫る午後8時、茅舎家族は蠣浜橋までくると甘酒横町は半分以上燃え上がり、多くの荷物と車で身動きが取れない状態でした。
茅舎一家は細川邸の塀を破り、庭園に出たものの火の手が回り、大橋の袂に出ました。
橋の真ん中に必死に割り込み座り込み、一昼夜を過ごしたそうです。
橋の両傍から火に攻められた人々は死に物狂いで真ん中へ押してくる、中央でさえ堪らぬほど熱い。阿鼻叫喚の様相。自分たちも死に物狂いで踏み留まる、やがて、傍らの人並みは動かなくなる。
橋の袂の人は皆焼け死んだそうです。
吹く風は熱く、橋はハンモックのように揺れ、川は濁流が轟々と流れていたそうです。」<<<
新大橋は、鉄製の床板で敷き詰められていたため、消失を免れました、当時、隅田川5橋のうち、ただひとつの鋼鉄製の橋でした。
新大橋の右岸、橋を渡る手前の左側土手下に「新大橋避難記念碑」があります。
大変大きな碑で、由来が細かく記してあります。この橋の上で多くの人が助けられ「人助け」たことと、教訓が記されています。
なお 旧新大橋の一部は
愛知県犬山市の明治村に保存されています。
記念碑を読んでいる最中に、
若い女性が、碑に向かい
深々とく手を合わせていらっしゃいました。
[杏葉牡丹]
2012年5月16日 08:30

5月1日~5日は鐵砲洲稲荷神社の例大祭。
氏子達から「鐵砲洲さん」と呼ばれて親しまれているこの神社は、今年で御鎮座1172年という、大変に歴史のある神社です。
神輿渡御の3日4日は、あいにくのお天気でしたが、
3年に1度の本祭りだった昨年から1年延期になり、
待ちに待っていただけに、氏子の皆さんは元気いっぱいでした。
お祭りに付き物の半纏は、背中に各町会や様々な会の名前が入っていて、粋なものですが、その中に「木挽町」という半纏があったのをご存知でしょうか
実は、この「木挽町」、
今は無くなってしまった町名なんです。
場所としては、銀座中央通りからちょっと東に行って、今は埋め立てられてしまった三十間堀から始まり、昭和通りを越えて、築地までの細長い地域にあたります。
現在の正式な地名は『銀座』なので、雑誌などに「銀座とは思えない下町情緒の残っている地域」とか「裏銀座」などと紹介されることがありますが、それもそのはず、江戸時代からずっと「木挽町」だったのが、1951年に「銀座東」となり、1969年に「東」がとれて『銀座』になった、違う町なんですね。
ですから、同じ『銀座』でも、ここまでは鐵砲洲稲荷神社の氏子ですが、銀座中央通りの方は、赤坂日枝神社の氏子です。
もともと「木挽町」の名前は、江戸城改築の折に木挽(木曳)職人を多く住まわせたところから付いたといわれており、江戸三座の一つ「森田座」があった場所で、今では歌舞伎座があるという、芝居には大変に縁のある、由緒ある町名です。

そうした事もあって、三丁目の町会が「木挽町」の歴史を大事にしようと作ったのが、この半纏なのです。
当初は紅殻色だったとの事ですが、いまでは年季が入って、歌舞伎に縁の深い「柿色」に見えるのも、なんとも粋なものです。
今年は工事中だったので、できませんでしたが、お祭りのハイライトの一つは、なんと言っても、歌舞伎座前への、各神輿の渡御。
特に宮元の御神輿は、立派で姿形が美しく、風格があるので、三原橋方面から歌舞伎座に向かってくる姿が見えて来ると、失礼ながら、大向こうから千両役者に声をかけるように『宮元っ!』と叫んでしまいたくなる程です。
次のお祭りの時には、新しい歌舞伎座も完成しているはずなので、きっと、雄壮な姿が見られるはず。
「木挽町」の半纏も大活躍する事でしょう。
今からとっても楽しみです!
[サム]
2012年5月15日 15:00
店頭に「謹賀新茶」と染め抜かれた若草色のバナーが飾られた うおがし銘茶 築地新店・茶の実倶楽部では、5月14日(月)~19日(土)の期間(10:00~17:00)、『茶遊会』新茶 '新茶は三里行っても飲め' イベントが開催されています。(500円/人)
1月「新春」、3月「春」、7月「夏」、10月「秋」と並び年5回開かれる恒例の『茶遊会』のひとつ。
普段1階は物販、2・3・4階は各々趣向をかえた喫茶スペース、5階はイベントスペースですが、会期中は5階から1階まで順に降りながら、爽やかな香り・旨みと甘みが特徴の新茶づくしのひとときを楽しめます。
尚今年は15周年記念として、6月14日~16日に 「茶の実まつり」初夏の宴 が予定されています。
『茶遊会』新茶メニュー
5F摘茶楼: 茶摘み体験、新芽天ぷら、金の焙じ茶、清酒「開運」 (写真上段左)
4F実茶楼: 築地新店限定「茶の実倶楽部」+茶請け (写真上段右)
3F美新楼: 「しゃん」vs.「にゅう」 (写真下段中)
2F向後階: 築地新店限定「これから」+新茶だんご (写真下段右)
1F風流階: 「自然栽培茶」


[銀造]
2012年5月15日 11:00
「銀座 夏野」、お箸の専門店です。 外国からの方々にも好評です。
今日は、「東京スカイツリー箸」をご紹介。
私は粋、妻には雅を買いました。使い勝手も良いですよ。

場所は、東京都中央区銀座6-7-4
その他の商品情報もご確認下さい。
http://www.e-ohashi.com/
食卓が楽しくなりますね。Bon Apetito
!
[滅紫]
2012年5月14日 18:36
「落語はお好きですか?」私は3年前からの新参ファン。好みの噺家も出来、少しずつ面白さがわかってきたところ。何度か聞いていると噺の中に出てくるお店や登場人物のいた場所に行ってみたくなりませんか?そんな方にぴったりの講座が、「名作落語で楽しむ江戸東京の世界」(中央区民カレッジ早大連携講座)です。第1回目は5月11日、「宿屋の富と人形町」。講師が噺の舞台となる宿屋のあった馬喰町、富くじ抽選の行われた椙森神社、富くじ興行についての説明をされたあと、志ん朝の演じる「宿屋の富」(平成6年収録)のDVD鑑賞。テンポのよい志ん朝を聞いているうち、部屋を暗くしているのとまだ抜けない時差の相乗作用で猛烈な睡魔に襲われ三分の一は夢の中!(講師、志ん朝さんごめんなさい)「宿屋の富」は落語の中でもよく知られた噺ですが、説明によると「元々上方で『高津の富』といった噺で二代目の小さんが東京に移したもの、従って場所も高津神社から椙森神社へ。志ん朝は湯島天神で演じています」とのことです。早速舞台に行ってみましょう。
椙森神社に向かう途中に幟がたくさん。例大祭の日だったのです。
神輿に出合えました。椙森神社は平安時代の創建と伝えられ江戸時代には烏森、柳森と並ぶ江戸三森のひとつに数えられ人々の信仰を集めていました。江戸時代に流行した富くじ興行の場所としても有名でよく時代小説にも登場しますね。江戸の富くじは一枚一分が相場で通常一等が100両。庶民にとっては高額(一両10万円として2万5千円です)であったため共同購入することも多かったとのことです。椙森神社には「富塚」の碑が建てられています。

続きを読む: 江戸落語の舞台を訪ねるー落語散歩は如何?-「宿屋の富」